塩谷 育代プロ
名前
塩谷(伊藤)育代
(シオタニ イクヨ)
所属
(株)伊藤園
生年月日
1962年5月28日
出身
愛知県名古屋市
身長
162cm
LPGA入会日
1983年1月1日(43期生)
家族
夫、子供2人

略歴


プロをめざして

中学時代は陸上競技部で活躍。3年生の時には、全国放送陸上選手権にて、走り幅跳びで優勝した経験をもつ。
当時世界のゴルフ界で名を馳せていた樋口久子プロが同じ陸上出身であることを知ったのがきっかけで、プロゴルファーを志した。高校を卒業してゴルフ練習場に入り、1年半後の1982年秋のプロテストに合格。

プレー、私生活共に大活躍!

デビュー3年目の1985年からは、運動生理学の権威・東海大学の田中誠一教授の指導を受け、女子プロゴルフ界ではいち早く長期構想の科学トレーニングを取り入れる。1987年のアジアサーキット・マレーシアレディスオープンで優勝。
1989年3月に弊社と所属契約を結んだ直後の5月、ヤクルトミルミルレディースで、ツアー初制覇。1992年はシーズン1勝ながら、賞金女王に輝いた。
翌1993年12月、結婚。
1994年はシーズン大詰めに逆転を喫し賞金ランキング2位となったが、1995年には逆に、最終戦・JLPGA明治乳業カップ優勝でランキングを逆転するという離れ業を演じ、再びマネークィーンの座につく。 また、同年の日本女子オープン、翌1996年の日本女子プロ選手権制覇で、国内公式戦3冠達成者となる。

2児をもうけ、ママさんプレーヤーとして活躍!、そして引退!

1998年1月に懐妊がわかり、妊娠4ヵ月半でシーズンイン。4月下旬の那須小川レディスを最後に産休に入る。同年8月21日、長男を出産。
1999年シーズン開幕を機にツアーに復帰。徐々にペースを取り戻し、1999年は3位タイフィニッシュ3回。
2005年までの10年シードを有するものの、賞金ランキングも27位と余裕を持って第一線に返り咲いた。
2000年は賞金ランキング22位とさらに順位を上げ、2001年には5月のヴァーナルレディースで、1997年のサントリーレディス以来4年ぶりの復活V。
2002年7月、父親のように敬愛していた弊社会長の本庄正則が急逝する。 通夜・告別式に参列し、慌しくもその足でゴルフ5レディスに出場すると、神がかり的に優勝を遂げた。「亡き会長に優勝を約束した」、まさに精神力の強さを物語る一場面だった。
そして遂に2003年9月のフジサンケイレディスで、ツアー通算20勝を達成。プロ入り21年目の偉業である。その年の10月中旬には、第2子の懐妊が分かり二重の喜びとなった。
2005年、母として、妻として、プロとして最善を尽くすことを心に期してツアーに復帰。 家庭との両立を図りながら年間10~20試合に出場し、現役を続けた。 しかし、2011年。12月のファイナルQTを終えると、レギュラーツアーからの引退を表明する。「実力で出られない者が通用する世界ではない。一人でも多くの若い人に門戸を広げたい。」
2012年から新しい人生を模索する。シニアツアー参戦、テレビ解説、等々。一方、若手プロやジュニアの育成にも活躍の場を広げている。 (日本女子プロゴルフ協会発行「LPGA MEMBER GUIDE」より一部抜粋)

主な戦歴

トーナメント名称 順位
1989年 ヤクルトミルミルレディース 優勝
1990年 東都自動車レディース 優勝
伊藤園レディス 優勝
1991年 ミズノオープンレディス 優勝
富士通レディース 優勝
1992年 再春館レディース 優勝
1994年 再春館レディース 優勝
健勝苑レディス・道後 優勝
カトキチクイーンズカップ 優勝
1995年 三越カップレディス 優勝
那須小川レディス 優勝
中京テレビ・ブリヂストンレディス 優勝
日本女子オープン 優勝
JLPGA明治乳業カップ 優勝
1996年 日本女子プロ選手権 優勝
TaKaRa WORLD INVITATIONAL 優勝
1997年 サントリーレディス 優勝
2001年 ヴァーナルレディース 優勝
2002年 ゴルフ5レディス 優勝
2003年 フジサンケイレディスクラシック 優勝

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