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第二十回 お〜いお茶新俳句大賞
ししまいにかんでもらおう日本国
東京都 金子 尚広 12歳
神社にししまいを見に行った時、ししまいにかんでもらったら元気になるのだと、お母さんに教えてもらいました。不況の日本も、ししまいにかんでもらえば元気になるのではないかと思ってつくりました。
近頃はおだやかな正月気分すら味わいにくい世相になってきていることを憂いているのだろう。獅子舞だけが日本文化の伝統ではないが、邪気を払って貰うには手っ取り早い方法で、十二歳の作者の鋭い指摘に、喝采(かっさい)したい思いだ。政治がどうの、経済がどうの、という論評は、俳句の手に負えない。しかし、この直感は、本質の一端をみごとに衝(つ)いていると思う。川柳との境界を危ぶむ向きもあろうが、この位は俳句の領域と考えても差し支えあるまい。
ぼくは見た花火が鳥になったのを
埼玉県 森嶋 洋介 12歳
夏に行った花火大会のことを句にしました。花火が開く瞬間が、鳥が羽ばたく瞬間のようで綺麗だと思いつくりました。
あながち「火の鳥」のイメージに限定するわけでもない。空一面に広がって、刹那に闇の世界に消えてゆく華やかで大きな光の表現は、巨大な鳥が翼を広げてはばたき、飛び去る幻影を思わせもするのだ。光が空いっぱいにばらまかれ、一瞬のうちにかき消えるさまは、鳥の飛び去る姿の未練のなさにも、通うのではあるまいか。「ぼくは見た」という出だしも、新俳句の自由な発想と、表現といってもよかろう。意外な展開にもなっている。
振り向けば絶景なのだと信じたい
宮城県 小林 愛 17歳
過去を振り返れば良かったことも悪かったこともあるけれど、それら全部が今後に生きてくる「絶景」なのだと信じたいという思いを句にしました。
うしろを振り向くことに、期待もあり、怖さもある。何でもなく、ただのありきたりの景に過ぎない、という絶望感を味わいたくはない。見たことも経験したこともないという絶景こそを、心中ひそかに期待しているわけである。こういうことを絵解きしてしまっては野暮になるので、世間智や大人の智恵とかを持ち出さない方がよい。一読して、自信と期待を秘めながらのやや気はずかしいプラス志向という印象を受けて、好感が得られる。
築100年台所の水凍ってる
栃木県 佐藤 幹 31歳
大学時代お金がなくて、海外で築100年位の一軒家に住んでいました。暖房が無く台所の水が凍っていたという思い出を句にしました。
「築100年」といえば、土台のしっかりした建物である。しかし、それだけに今風の暖房完備のイメージとはゆくまい。「台所の水凍ってる」という表現から、木組みのゆるがぬ堅牢な建て方の風格は目に浮かびながら、実際に住むとなると、二の足を踏むことになりそうである。とはいえ、「築100年」のめでたさは、一目も二目も置かれてよい。台所の水の凍るというリアルさがあることで、この句の俳句としての味わいは生きている。
百年を生きてひとりの雑煮かな
京都府 坂本 寿美子 99歳
長男夫婦と暮していますので、お正月には、子や孫からひ孫までもが集まってにぎやかになります。けれども時おり、自分が話の輪から外れていることに気づいて淋しくなります。古くからのお友だちはもうみな亡くなりました。数え年で百になりめでたいはずですが、そうとも言いきれない気持ちがこの句になりました。
今のところ、女性の平均寿命は延びたが、男性にとって九十九歳というのは、まだかなり厳しい。ともあれ、共白髪とはいうものの、目下は女性がひとり生き永らえるというケースが多く、この句のように正月の雑煮をひとりで祝うことになられたのであろう。いずれにしても、長寿をつづけておられることは、めでたいことである。作者にとっての感慨が、おのずからそのまま読者に伝わってくる。このあともいつまでもお元気でいて戴きたい。
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