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第十九回 お〜いお茶新俳句大賞
満月を抱えて父が帰宅した
千葉県 志賀 彩那 11歳
お父さんが帰ってきた時のことです。夜空には満月が出ていました。まん丸で重たそうな満月をお父さんが抱えているように見えました。お父さんの優しい感じを出したくてこの俳句をつくりました。
満月の月の出と共に、父が帰宅したのである。その大きい満月の出現は、出迎えた時の思いがけない光景だったかも知れないが、父にとってはいささか照れくさいことだったのだろうか。しかし「抱えて」という感じからは、満月を「とりこにした」という思いもうかがわれる。しかも大切に扱うからこそ「抱えて」という表現になる。その荒唐無稽さも楽しいし、父のご機嫌ぶり(多少の酩酊を含めて)を感じ取ることも自由といえようか。
三日月に腰かけたがる秋の虫
広島県 新谷 千徳 14歳
ある夕方、犬の散歩をしていると草むらから鈴虫、松虫が空に届きそうなくらい大きな声で鳴いていました。ふと空を見上げると月があり、三日月に憧れているのかなと思いこの俳句をつくりました。
しなやかに伸びた長い葉の上に、鳴く虫が乗って、その背景に三日月がある。あるいは虫は、じかに三日月の反りの内側に、腰かけている図を思い描くことができよう。中学生の作者の構想らしいたのしさと、ロマンを感じる。夜の景で、秋の虫だから、当然鳴く虫を考えるのが自然である。「腰かけたがる」という表現に、作者の思いがおのずからうかがえるところも、目立たぬ工夫が感じられて楽しい。適当にファンタジックだ。
卑弥呼でも私でも吐く白い息
茨城県 青沼 綾 17歳
日本史を勉強していて卑弥呼が出てきました。その卑弥呼は歴史上の人物だけど、寒いとかを私と同じように感じる人間なんだと思いました。そんなことを思い浮かべてこの俳句をつくりました。
「白息」の季語が一句の伏線として、微妙に働いている。歎きとか、弱音を吐くまでに至らないまでも、どこかに挫折感が下敷きになっていよう。自分などは及びもつかない、かの卑弥呼にだって、それなりに嘆きはあるわけだ。内容は違うにしても、現象としての「白い息」は、同じように口から洩らされるのだ。卑弥呼という普通では較べられない存在を、引き合いに出してきたことが面白い。発想の飛躍といってよかろう。清新な句だ。
夏雲に負けぬ白さにシャツ乾く
新潟県 吉田 恵子 37歳
ふと空を見上げると夏雲があり、また、シャツが白くよく乾いているのを見るととても気持ちが良かった。そんな軽やかで気持ちの良い思いをこの俳句にしてみました。
一読して、青空に干されているシャツの白さが、目に飛び込んでくる。天上の夏の雲の輝きを引き合いに出したことも効果的だが、比較論をいうのではなく、シャツの眩しいばかりの白さが言いたいのである。当然、風を受けて、裾も翻っていよう。炎天の空の青さも、夏雲の白さも、おのずから背景の位置に引きさがって、主景を引き立てている。三つのものが同じ強さで自己主張をしていない。
一筆のこけしの口の寒さかな
千葉県 畠山 猛 84歳
名人がこけしの顔をささっと一筆でかき、口を書いた筆を見て寒さを感じました。こけしの立っている姿を見ると寒さ(静けさ)を感じます。その時の思いを俳句にしました。
こけしの顔の表情のポイントは、一つだけに絞っていえば、一筆の仕上げの唇といえよう。描く順序も含めて、口の描き方一つで、そのこけしが活きも死にもするのである。そのことを思えば、活殺の鍵を握るこけしの口にこめる思いは、芸の「寒さ」ということができよう。失敗しても成功しても、鳥肌の立つ思いなのである。その究極こそは「寒さ」というほかあるまい。季感が底意に働いているが、それを突き抜ける境地であろう。
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